今でも残る旭ヶ丘団地の遺構
意図して残された品々、意図せず残されたもの、見る人が見れば分かる古い団地の痕跡をみていきます。
1番地(天竺川沿い)に残された品々
このエリアは第一期工事で立替られました。生ごみ収集所、集会所、ごみ収集所に記念プレートと立替前の団地の品々が残されました。立替後この粋な計らいを見て感動しました。他のエリアにはこのようなモニュメントはありません。
ガスマンホールのふた
どこにあった物なのか詳しいことは記載ありません。
ガスのコック
このタイプは実際には見たことがありません。どのように使用されていたのか興味深いです。
スイッチプレートです。部屋のどの辺りに使用されていたのか分かりません。
ダストシュートです。
トイレのバルブ
けっこうな勢いで水が流れた記憶があります。
上はドアノブでかなり遊びが多かったです。下の小さいノブはロックでまわすとガチャと大きな音を立てていました。写真は銀色ですが、自宅のものはめっきが落ちてこげ茶色でした。
雨水マンホール
上を車が通るとゴトンと小気味良い音を立てるものもありました。
消火栓
上にアポロチョコ型のフタが付いていて背中のヒンジで開閉できた記憶がありますが写真のものにはキャップがありません。タイプが違うのでしょうか。
制水弁標識柱
埋め込み方に苦労が偲ばれます。
銘板 かつては府道2号線とバス道の交差点 (現在のイカリスーパー前)にありましたが今は 郵便局の隣でヒッソリとたたずんでいます。 |
2013年撮影 バスロータリー横の新しい銘板 |
2013年撮影 かつて銘板のあった場所 ここに新しい銘板を立てる予定があったのか ぽっかりと土地が空いています。 |
立派な銘板が追加されました。2013年撮影 | 天竺川沿いに追加された銘板。2014年春 | 夜間発光状態 極めて視認性が良いです。 |
住戸扉
団地銘板の保存されている給水施設の北面にあります。モニュメントの中では最大の大きさだと思われます。扉の色がオリジナルなのか保存用に塗り替えられたのかは不明です。もし、立替前の鍵を持っていたら、鍵を開けることができるのでしょう。扉自体は隙間がコーキングで埋められており空けられる構造ではないようです。
(2013/9/21追記)
隠れ遺品
上で紹介した品々は説明プレートが付いていましたが、説明板なしでさりげなく保存された物も存在します。あえて説明板を入れなかったのか、工事関係者の中で保存の意図が伝わっていなかったのかは分かりませんが、とても粋な図らいです。
集会所の壁に埋め込まれたレンガ
このレンガはダストシュートの外壁だと思われます。
隠れ遺品の中でもっともすきなのがこの照明です。夜間はちゃんと光ります。最近では電球が切れて光っていないものもありました。コンクリの外壁から一段くぼんで保存されており、破損の心配も少なくこれからもさりげなく明かりを灯して欲しいものです。
1番地のゴミ集積所に設置されている住棟番号。他の地区の集積所には番号はありませんのでかつての団地で使用されていた住棟番号を活用するために取り付けられた性格が強そうです。
(2013/10/27 7番追記)
取り残された遺構
立替により建物は全て新しくなり、地形も変わりましたが変化を乗り越えて残ったものがあります。
土崩れ防止用のブロックの一部。現在の3−1棟前に残っています。かつては3−1棟の北側まで続いていました。
現在の7−4棟東にある「どんぐり山」。 どんぐりがよく取れたのでこう呼んでいました。 どんぐり山に立替後も残っていた保存樹木看板。
日本住宅公団史、表1-19 現況緑地を保全した団地例(p197)に旭ヶ丘団地が登場します。おそらくこのどんぐり山は団地造成時にもとの雑木林をそのまま保存したものと推測されます。同じようなどんぐり山は近隣の東豊中団地にもあります。
現在の6−4棟前にある交通安全の看板。2013年現在は役割を終え撤去されています。
奥の6角形の建物は雑貨屋「あさひや」です。2013年現在閉店してしまいました。
上の看板の横に残る植え込みの石。かつての団地内にはこのような石で囲われた木々が何箇所かありました。
2013/6/23追加 |
現在のグランド テニスコート横に残る植え込みの石。この辺りの傾斜地の小道はこのように石とコンクリートで縁取られていました。
トップページの写真
こちらもグランドのテニスコート横です。かつては写真にある丸太椅子の前にテーブル(追記参照)がありましたが朽ちてきたため撤去されました。
2013/6/16追記 テーブルの写真追加
テーブルがあった頃写真。2005年9月撮影
写真奥のテニスコートがかつての公園でした。テーブルと椅子がいつ頃設置されたか定かではありませんが、1989年頃には既にありました。おそらく公園にあった木製のアスレチックと同時に設置されたものだと思われます。
テニスコート横に残る石垣。テニスコートの一部として活用されています。
取り残された電柱。工事区域の境目にある道路上に立っていたため残ったようです。今も配電線を支え続けます。
側溝跡 2013/12/7 追加 |
鬱蒼と茂る木々。この一体の樹木は丸ごと保存されました。小道は立替前の動線が再現されています。緑と一緒に古い側溝も残りました。写真の側溝はコンクリ打ちですが、玉石作りのものもありました。
グランド外縁の石垣。 埋め立てによる地形改良で途中から埋もれています。全部掘り返すとかつての石垣が出てくるのでしょうか。
旭丘会館(集会所) 2013年撮影 (2013/7/15追記)
中央集会場は新しくなりましたが、こちらはそのままです。立替後の2000年ごろまでは団地内の集会所でお葬式をあげる方もいましたが、いつ頃から御通夜やお葬式で使われることはなくなりました。
ここから右(南)へ100mいくと別の集会場がありました。(現在は駐車場になっています)。参考文献にある自治会発行誌によると、もとは池田銀行の建物だったものを集会所として使用できるように交渉したとあります。さらに日本住宅公団史(P281)によると、かつて団地の家賃は団地内の池田銀行で支払っていたとあります。当該集会場の写真がないのは残念です。(銀行で支払う前は管理人に家賃を払っていたようです。)
フェニックスの木 2013年撮影
おそらく保存樹木として移植されたものです。もともとの位地は分かりませんが独身棟の中庭に生えていたものだと思われます。
2013/9/21追記
テラスハウス区域の階段
分譲のテラスハウスはほとんどが建て変わりましたが、階段は今でも役割を果たし続けます。
左半分だけ化粧直しされています。 | 右のスロープの目的は不明です。 | |
かなり化粧直しされています。かつてはこの階段の場所に レンガ敷きに藤棚付きの旭ヶ丘バス停がありました。 |
旭ヶ丘グランドの階段。手すりが追加されています。 左のスロープは排水溝です。90年代終わりの豪雨で この側溝から水が溢れ1番地に水が流れ込んだため、 頑丈な蓋が取り付けられています。 右手の松のすぐ奥に中央集会所がありました。 |
2013/12/7撮影
ほとんどの部分は取り除かれていますが、公園の横にフェンスが残っていました。
植栽に紛れて残ったフェンスの一部 | フェンスが現役だったころの景色 右上の端が残った部分です。 |
団地東端に残る車止め
左の写真をみると、団地内に設置されたものと同型でした。 公団が設置したものと推測できます。 |
3番地東端に残された車止め。かつて33棟の西側にあった小道 にあったものです。 2015/2/1追記 |